東京高等裁判所 昭和43年(う)2775号 判決 1969年3月27日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
但し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
理由
(控訴趣意)
弁護人保持清提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
(当裁判所の判断)
控訴趣意第一点および第二点について。
所論は要するに、被告人と被害者甲野花子とはかねてから情交関係の間柄にあったもので、甲野は、被告人を多額の個人財産を所有している事業家であると信頼していたものであって、本件の金五〇万円を交付したのも、一応は、被告人が、甲野のためにバーの店舗を借りてやるための権利金として出したものであるとしても、その真意は、被告人の事業に対する投資の一部として交付したものである。このことは、同女がその後、被告人において右金員を他の用途に費消したことを知った後においても、なお被告人に対し、その工事資金として、別途に金三〇万円を交付している事実に徴して明白である。したがって、被告人の詐言と甲野の金五〇万円交付との間には因果関係がない。この点を明らかにしなかった原判決は、甲野の真意を誤認したか、又は、その間の因果関係を明らかにしていない理由不備の違法がある、という主張である。
しかし、≪証拠省略≫を総合すると、被告人は、かねてから情交関係のあった甲野花子から、被告人請負いの宅地造成資金として、昭和四二年五月中に金七三万円、同年六月八日から二八日迄の間に金七〇万七千円、同月二八日金二万七千円、同年七月一日金四万二千円を融通してもらっていたが、同年、七月五日頃またもや差しせまった工事資金五〇万円の支払いに窮するに至ったが、同女がこれ以上たびかさなる融資の求めには応じてくれないであろうことを察知し、同女が、かねてより桐生市から東京都内に移ってバーを経営したいという希望をもっていることを奇貨とし、部下の高梨孝一と相談の結果、同女からさらに右所要の資金五〇万円を出させるためには、バーを借りてやるための権利金ということで話しをもちかけた方がよいということになり、当時は、右バーの店舗を借り入れる確たる見込みも立っておらず、また、それを借り入れてやろうという意思もないのに、あたかもそれがあるように装い同月七日甲野花子に対し、原判示のとおり、虚構の事実を申し向けて甲野を誤信させ、その結果、同女から本件金員の交付を受けてこれを騙取した事実を優に認めることができる。そして、本件の後、右甲野が、被告人に対し、工事資金として金三〇万円を更らに貸与したとしても、これは被告人と情交関係の間柄にあった同女が右金五〇万円をふくむ前記貸金を早く返えして貰いたいため、被告人の事業を成功させたいとの考慮からでたものと推認されるのであって、このことがあるからといって、経験則上、前記詐欺罪の成立を否定しなければならないいわれはない。原判決には、因果関係の誤認もないし、また、理由不備の違法もなく、論旨は理由がない。
控訴趣意第三点について。
所論は、原判決は、本件事実認定の証拠として被告人の司法警察員に対する供述調書を掲記しているが、右供述調書は、警察官が被告人に手錠をはめたまま取調べをして作成したものであって、このような供述調書は証拠として採用できないのに、原判決がこれを採用したのは、訴訟手続に法令の違反がありその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであると主張する。
この点について、被告人は原審公判廷において、桐生警察署において、本件の取調べを受けた際、両手錠をかけられ、後手にして、手錠についているロープを椅子に縛りつけられて取調べられたと供述しているが、原審証人松崎市次は、被告人を取調べる際両手錠でなく片手錠をかけ、手錠についている紐を椅子に縛りつけて取調べをした、この取調方法は桐生警察署で被疑者を取調べるに際し、被疑者の逃亡するおそれなどある場合で警察官が一人で取調べるとき常に実行していると証言しており、この供述に対して、被告人側からなんら具体的な反対尋問が行われていないなどの点をもあわせて考えてみると、被告人に対する取調べは、被告人のいうような両手錠ではなくて、いわゆる片手錠の状態で行われたものとみるのが正当であると思われる。ところで、逮捕された被疑者を捜査官が取り調べるにあたっては、その供述の任意性を保持するため、できる限り自由な状態の下でその取り調べを行なうようにしなければならないのであって、もし、取り調べのさい両手錠などを施したままでこれを行なったようなばあいには、反証のないかぎり、その供述の任意性については、一応疑いをさしはさむべきであると解される(最高裁昭和三八年九月一三日第二小法廷判決刑集一七巻八号一七〇三頁参照)が、本件のように片手錠を施した程度で取り調べが行なわれたばあいには、これについての実際上の当否の論は別として、いまだこれをもって直ちにその供述の任意性に疑いをさしはさむべき理由と解することは必ずしも妥当であるとは思われない。したがって、他に格別、被告人の供述の任意性に疑いをさしはさむべき事由の認められない本件において、原審が、被告人の前記司法警察員に対する供述調書を有罪の証拠として採用したことについて、訴訟手続に法令の違反があるものとはいえないから、論旨は理由がない。
控訴趣意第四点について。
所論は原判決の量刑不当を主張する。
ところで本件は被害者が被告人を信頼しているのに乗じて金五〇万円の大金を騙取した事案であって犯情が軽いものとは認めがたいが、被告人はこれまで犯罪によって逮捕されたという前歴もなく、特に原判決後被害者との間において金一〇万円を即時支払い、被告人に対する保釈保証金還付の際金二〇万円を支払う、残額二〇万円については昭和四四年三月以降金一万円宛割賦支払をする旨の示談が成立したこと、本件以降被告人は甲野花子との不倫な関係を清算して殖建工業株式会社に勤務し、二度と本件のような失敗をくり返えさないよう堅く心に誓い、改悛の情ようやく顕著なものあることが認められるなど原判決後の情状を考慮すると、現時点においては原判決の科刑は重きに失するものがあるといわなければならない。論旨は理由がある。
よって本件控訴はその理由があるので刑事訴訟法第三九七条によって破棄し、同法第四〇〇条但書により、左のとおり自判する。
当裁判所が認定する「罪となるべき事実」ならびに「証拠の標目」はいずれも原判示どおりであるからいずれもこれを引用する。
(法令の適用)
刑法第二四六条第一項。
刑の執行猶予につき同法第二五条第一項。
(裁判長判事 樋口勝 判事 浅野豊秀 井上謙次郎)